鴨とペンギン


 枯葉も落ちきって、すっかり風も冷たくなった頃、川に鴨が戻ってきた。
 たった一羽で。
 背の高いしなった草の陰で、やわらかい褐色の羽をくちばしでつくろっているのは、雌の鴨だった。去年、この小さなはずれの川で冬を過ごした鴨は二羽だった。
 他の川にもぞくぞくと戻ってきている鴨たちは皆、鮮やかな緑の頭の雄と褐色で地味な雌のつがいである。集団の中でも必ず二羽連れそって移動する。
 それなのに・・・。
 バイトの帰り道、ほとんど通る人のいない古く狭い橋の上から見下ろした川に、雌の鴨は一羽きりだった。 日が暮れかけて薄暗い草の陰で、寒さをしのぐように真っ黒い瞳で羽に首を預け、じっとして休んでいる。
 雄の姿は見当たらない。いつも一緒の二羽だった。そう広くもない川の中で、少し離れただけでも慌てて雄のあとを追う。片時も離れない二羽だった。
 次の日も雄の鴨はいなかった。
 次の日も。その次の日も・・・。
 土、日、月、火、水、木、金、
 一週間が経った。
 雄の鴨はどうしたのだろう。北方に帰り、そこで何か動物にでもやられたのだろうか、長い空の旅の途中で力つきたのだろうか。それとも・・・。
 雌の鴨は一羽、大きな動きも見せずに、ただ待っているように見えた。何かをあきらめたように、静かな瞳をしている。新しく仲間を探すでもなく、そこを去る訳でもなく。
 なんだかその鴨が無性に気になって、その橋を通るたびに自転車を止め、手すりにもたれて川を見つめる日が続いた。
 手袋をして、マフラーを巻いて。
 朝もやの中で息がかすむ日、昼のわずかに暖かい陽だまりの中で、夕焼けからだんだんと光を削られて暗闇に沈むまで。バイトに遅れた日も、大学の講義をさぼった日も。
 雌は待っている。
 雄は戻ってこない。
 ―― 戻ってこない。


「なんて顔してんだよ」
 数メートル離れた所からかけられた声に、川に落としていた視線をのろのろと移した。
 なんて顔をしてるのかなんて自分ではわからない。
 わかるのは、これまでにないほど長い期間見なかった加賀の顔。
 加賀はこの川に鴨がやってくる前からゼミ旅行に行くと言っていた。倉田と同じゼミの旅行。帰ってからもずっと姿を見せなかった。
 加賀はポケットに手をつっこんだまま隣に来て、同じように川を見下ろす。寒い中、どこかで走ったのか息がはずんでいた。
「鴨 見てたのか」
 問われてただ頷いた。
「一羽きりしかいないな」
 頷いた。
 そのまましばらく鴨を見ていた。鴨は水の上で軽く羽ばたいて、小さく水しぶきを飛ばした。これから眠りにつくのか、ゆっくりと泳いで草むらの陰に入っていく。
 追うものを失った視線は、加賀と自分の距離感をゆるゆるとさまよった。
「・・・ペンギンって鳥 知ってる」
「ペンギンは知ってるだろ」
「・・・ペンギンって、生涯同じ相手としか添わないんだって。毎年、何万羽もいる仲間の中からたった一羽を見つけて。生涯同じ相手と」
「ふうん」
「それ聞いて、ペンギンになりたかった」
 加賀は長い間黙っていた。
「・・・・・・無理だろ。人間には。生涯たった一人なんて。お前だって今まで一人しか好きになったことがないって訳じゃないだろ。 二人だって三人だって気になるのは自然なことだ。心変わりだってする・・・。人間なんだから」
 加賀がそんな答えを返すのを知っていたような気がした。
「人間なんだから」
 ―― それでも、ペンギンになりたかった。


 土、日、月、火、水、木、金、
 それからまた何週間かが経って。ある日、川をのぞくと雌の鴨の傍らには雄の鴨がいた。並んで、すいすいと水の上をすべる。 雌の鴨は静かな黒い瞳をしていた。
 その雄がもどってきた鴨なのか、そうじゃないのかはわからない。
 ただあの鴨は一羽ではなくなって、今年も春の訪れとともに、北へと旅立つのだろう。





鴨に軌道修正した二人。

言わなくてもいいような気がするけど一応。
カモ類は基本的に毎年違う相手とつがいになります。(アイタタ・・・)
オシドリもだそうです(えー)。また一つ賢くなってしまいましたね。
(04,11,28) 



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