はぐれ雲


 せわしない昼時を過ぎると、コンビニは今までが嘘のように暇になる。
 客はおらず、バイトの相方は奥で遅い昼食に入り、店内には自分一人だった。
 午後のこの時間は、雑誌の立ち読みに大学生やら浪人生やらがぽつりぽつりと訪れるくらいだ。大抵が何も買わずに帰る。
 レジの前でぼんやりと何を考えるでもなく時を過ごす。ふと外の方に顔を向けると、よく磨かれた透明なガラスの向こうに、色の薄い空と一つだけぽつんと浮かんだ雲が見えた。小さな白い塊は、空に固定されたように動かない。
 こんな雲を、はぐれ雲と呼ぶのだという。

 以前見た写真集の一ページを思い出す。
 空の名前や、雨の名前、風の名前、雪の名前・・・そんなものが載っている写真集だった。
 引っ越しの荷造りをしているとき、部屋の片隅で落ちているのを見つけた。忘れ物だった。
 自然の写真が好きで、勝手に部屋に来ては人の都合も無視して、見たくもない写真を見せては、そのまま写真集をおいていった。そんな持ち主の忘れ物だ。
 もう持ち主の手にかえることはないだろう忘れ物。

 はぐれ雲は相変わらずガラスに貼りつけられたように止まっている。
 あのはぐれ雲はどうなるのだろう。
 いつか大きな雲が迎えに来て連れて行かれるのだろうか。それとも、空の高いところを吹く風にさらわれて、やがてちぎれて消えていくのだろうか。
 きぃと店のドアが開く音がした。客がきたようだ。
 ぼうっと視線を落としていた先に、どん、どんと乱暴にデザートの杏仁豆腐が2つと、単三電池4個入りパックが投げ出された。仕事だ。
「いらっしゃいませ」
 手早くレジを打ちながら品物をビニール袋に入れていく。
「以上三点で計670円のお買い上げになります。・・・1000円からお預かりいたします。・・・330円のお返しになりま」
 お釣の小銭を渡そうと伸ばした手をぐっと引かれた。
「やっと見つけた」
 いつでも怒っているかのように聞こえる加賀の声。
「・・・お前、接客業なんてやってんのな」
「恐れ入りますが、どなたかとお間違えに」
「とぼけんな」
 制服につけている【加茂】と書かれたプラスチックのネームプレートをつかまれる。
「どういうことだよ。アパートに行ってみれば部屋はもぬけの殻。履修登録は全部俺避けた講義ばっかとって」
 引っ越したのは畳に傷が入ったからだ。それだけのこと。
 そんなこと他人には関係ないだとか、いちいち言う必要はないだとか、どうでもいいとか、言うべき台詞はたくさんあったのに、口をついて出たのは別の言葉だった。
「・・・その杏仁豆腐、2つ、彼女と食べるの」
「彼女って」
「菅ゼミの子と付き合ってるって・・・」
「誰に聞いた、それ。倉田さんとは研究発表で組んだだけだ。それを アユカ らが面白がって吹聴しまわって。まさか、それが引っ越しの理由か?
 このメーカーの杏仁豆腐、お前が好きだったやつだろ。冷蔵庫にたまに入ってた」
「・・・・・・」
 言葉が出なかった。それが嘘でもかまわないと思った。
 嘘でも、見つけてくれたのだから。
 反対の手で腕をほどくと、小銭と品物を下に置き、レシートを切る。加賀はそれを受け取った。
「今日ここ何時にあがる?」
「AM 5:00」
「・・・・・・」
 そう答えると、今度は加賀が絶句した。
「・・・嘘だけど」
 そう言ったら、加賀はいかにも変な顔をした。
「お前、嘘なんて言うようになったのな」
 鼻にしわを寄せて笑うと「待ってる」と言い残して加賀はコンビニを出て行った。
 そのドアガラスの向こうにはやっぱり色の薄い空が広がっている。はぐれ雲の姿はそこにはなかった。
 あの雲の行方はわからない。
 大きな雲に連れて行かれたのだと思いたかった。





もはや名前がダジャレ化した二人。

マシューのTV見てたら加茂って人が出て、おお、こういう名字もあるのかと思って(安易)。
私は杏仁豆腐 好かんとです。食わず嫌いだけど、これからもきっと食べない。
(04,4,25) 



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