静 寂 の 鍵




 わたし、ひとりでもへいきなの。
 先生はみんなと同じことしないといけないっていうけど、
 みんなはちゃんとしてるのに、なんでできないのっていわれるけど。
 ひとりがいいの。ひとりでもへいきなの。ほんとよ。

 でもね、でも ――



 ぽっかりと目を開けると、薄墨のような暗さだけが広がっていた。
 眠りからさめてすぐ、よくあるように。はじめ自分がどこにいるかわからなかった。
 まず気づいたのは頬にあたる冷たい机の感触。暗さに次第に目が慣れてくると、見慣れた黒板が見えてくる。ゆっくりと上にたどると壁に丸い時計。 短針が8と9の間にあるのがかろうじて見える。
 そこまで認識してはっと身を起こした。
 真っ暗な夜の教室で、机についているのは自分たった一人。辺りにはしんと黙ったままの机と椅子が、昼間とは別の物のようにすましている。
 放課後、寮の喧騒を避けて教室に一人残っていたはずが、いつのまにか眠りに落ちてしまっていたらしい。
 誰にも気付かれずによくこの時間までいたものだと思う。
 一瞬混乱したものの、今の状況を理解すると落ち着いた。
 消灯にも間があるこの時間なら、寮内で騒がれることもないだろう。
 机の上に散らばったままのノートとペンを脇のカバンにしまい、片付け終わってがらんとしたそこに、何をするでもなく収まった。
 唐突にあたりの暗闇が、遠く子供だった頃の記憶をつれてくる。
 家にもどこにも帰りたくなくて、隠れていたあの頃。このまま夜のなかに同化してしまえたらいいのに、と何度も思った。
 もう分別のつかない歳じゃない。面倒な事態を避けるすべを知っている。
 それなのに、あの愚かしい時代が妙に近しく思えた。
 席を立つ気になれず、何かが起こるのを待っているように、夜の静寂に耳を傾ける。
 静かだ。
 窓の外には教室の半分を照らしだす巨大な月。満月だろうか。明るすぎる光だった。
 それだから、―― 影人間の夢など見たのかもしれない。


 こんな奇異な状況で、ふいと学校の七不思議のひとつが横切った。
 満月の夜、ある教室のぴったり真ん中の席に座って、最も逢いたい人を思い浮かべると、月の光がその幻を見せてくれるのだという。
 ただし、その教室がどこの教室なのかは誰も知らない。
 この教室かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 ただ、今座っている自分の席が、ちょうど真ん中あたりだというだけで。
 最も逢いたい人 ――
 考えて真っ先に思い浮かんだのは影人間だった。
 子供の頃、夜になると必ずやってきた幻の影人間。
 どこにいても連れにきた疎ましい影人間は、時々黙ってしばらく傍にいることもあった。無口でぶっきらぼうな時の影人間は、夜の優しい闇と同じように自分を受け入れてくれるようにさえ思えた。
 だから気まぐれに、自分の心の内を明かしたこともあったのだ。
 最も逢いたい人 ――
 影人間とは違う喪失感を伴って、長谷川亨の顔が浮かんだ。
 記憶の中のもやもやした影人間は、あっというまに大きくなって、はっきりと現在の長谷川亨となった。
 第三者がいるときの作ったような愛想笑い。少しゆがめた口許に見下した気持ちを隠して。
 大人になった長谷川亨は、私が、大事にするに値しない人間であることに気づいてしまったのだ。 学校で同郷だと知っている第三者の手前、とりつくろっているにすぎない。
 長谷川亨をしばらく傍で見ていなかった。
 一つ学年が上の自分が何の用もなく会う機会などないに等しい。不自然なバランス。特別な約束なんてどこにもないのに。
 そう、何の約束も。
 一学年下のクラスが校庭で体育を行っているのを、遠く自分の教室から眺めた。合間で親しげに隣りあって話す 長谷川亨と同じクラスの子。そんな当たり前の日常がどんなに羨ましく思えるか。その位置に立っているものにはわからないだろう。
 最も逢いたい人 ――
 今この教室が見せる静かな夜の顔とにぎやかな昼の顔みたいに、影人間と長谷川亨は変わってしまった。
 ひんやりとした夜の空気をすべるように、瞼を閉じた。

 影人間に逢いたい。
 影人間に逢いたい。
 影人間に逢いたい。

 三度思って、ゆるゆると目を開ける。


 教室の外、薄暗い夜の廊下に立っていたのは長谷川亨だった。


 ……意地の悪い七不思議だと思う。
 七不思議でさえ、あの頃の影人間ではなく、現実の長谷川亨を見せるのだ。
 でも、それが、私の本心かもしれないのだけれど。
「こんな時間まで残ってられると迷惑なんですけど、先輩」
 教室のドアに片手をかけ、もう片方の手に持った日誌を、苛ついたようにトントンと動かしながら七不思議は現実的なことを言った。
 とりつくろった声ではなく、わざとらしい敬語に皮肉交じりの「先輩」という響き。
 ようやく自分が夢の舞台にいるのではなく、本物の長谷川亨を前にしているのだと認識する覚悟ができた。
「嫌がらせか何かでわざとやってる訳? 鍵かけるんだから早く出てけよ」
「……ごめん」
 脇のカバンを持って席を立ち、長谷川亨の横まで行った。隣に立ったって自分には縮められないその場所へ。
 彼はジャラジャラと鍵の束を鳴らす。冷たすぎるほどにリアルな音がした。
「寮監に見つかったらこっちまで責任かぶらされんだからな」
 距離をとって前を歩く薄暗い背中が、突き放すように言う。
 沈めた視線の先に、彼が小脇に抱えた日誌がうつる。表面に、かすれて消えかけた<三年>の文字。 …………三年? どうして一年の彼が三年の日誌を持っているのだろう。よくよく思い返せば今月の当番は三年生だったような気もする。
 単に押し付けられただけだろうか。それとも……。
 無口でぶっきらぼうで夜の優しい闇のようだった ――。 長谷川亨はずっと、長谷川亨であったのに。
「約束、守ってくれたんだ」
「は?」
 ため息のような思いは、夜の静寂のせいで長谷川亨の耳まで届いたらしい。彼は訝しげな声をあげた。
 そうでも、そうでなくても、構わない。
 長谷川亨が、約束を守ってくれたことに変わりはないのだから。




                         ひとりがいいの。ひとりでもへいきなの。ほんとよ。

                         でもね、でも ――
                         もし、もしも、ひとりでへいきじゃなくなるときがあったら。

                         そのときはむかえにきて。







20000hit 記念なのに何やら うすら寂しい話に;
そのために書いた話ではないのですが、更新がないのも寂しいかと。

この話のポイントは、タイトルにまっっったく意味がないところですかね。
すべてにおいてニュアンス。これからもニュアンス。
で、よろしくお願いしますm(_ _)m
(06,3,1) 



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