宵 待 ち



 
 端々に黄金のにじんだ茜色は、次第にすみれからあやめ、薄墨に染まって、たちまち黒く深い夜をつれてくる。
 何度見たかわからない、宵待ちの空。


 磨いた小さな爪のような三日月がぴかりと光る、小気味よい風のふく夜だった。
 こんなに月が眩しく光るときは、夜の下でひっそりと息づくものたちは、一体どうしているのだろうと考える。
 グラウンドの端に位置する築山の、人の背丈ほどしかない洋灯の脇に腰掛けて、抱えた制服のひざを二三度撫でた。
 洋灯はかなり前から壊れていてともらない。月の明かりだけの仄暗い落ちついた場所。 ずっとずっと遠く。本当はそんなに離れてる訳じゃないのに。グラウンドをはさんで反対側、オレンジの明かりが漏れる体育館からは、風に乗って喧騒が聞こえてくる。
 門限も消灯も今夜だけは特別。
 全校生徒で行われている後夜祭。グラウンドの周囲には、文化祭の名残でまだぽつりぽつりと等間隔に角灯が掲げられている。
 にぎやかで明るすぎる空間の中にいて、突然ふっと抜け出した。暗くて静かな場所を求めて。


 子供の頃から、暗くて静かで暖かい、そんな場所が好きだった。
 家にも帰りたくなくて、小学校でやりたくもないことをやらされるのも嫌で、よく公園やデパートの遊具の陰で、夜を待っていた。
 その日が終われば何かが変わるという訳でもないと知っていたけれど。
 夜の仄暗さは、眩しすぎる太陽の光より、優しく迎えてくれる気がしたのだ。
 けれど、自分の思い通りにならない世界が完全に闇に沈んでしまうその前に、必ず、ふにゃふにゃした幻の影人間がやってくる。
 黄昏の下で、背の低い影人間は輪郭をなさない。
 影人間はゆらゆらと近づいてきて、ぼやけた手を差しのべる。

 ―― そんなとこに居てどうすんだ。
     隠れたってなんにもならないんだぞ。こっち来い。

 影人間が腹立たしかった。そんなことわかってる。ここから出たくないのに。どうせまた戻ってくるのに。
 何度隠れても、必ず影人間はやってきた。
 どんなに怒っていても、どんなに外を拒絶していても、その声に呼ばれると、結局は出て行かなければならなくなるのだ。
 手を伸ばして重ねると、幻の手のひらは途端に柔らかでしっかりとした実体を形作る。
 幻の影人間は、近所に住む一つ年下の、ただの長谷川亨という男の子になった。
 大嫌いだった。年下のくせに大人の仲間みたいに、ものわかりのいいふりをするところとか。
 もう何年も前の話。


 こうしていたら、また影人間がやってくるのではないか。
 怯えだか期待だかわからないものが込み上げる。
 けれど、影人間は現れることなく、そそくさと夜の帳は下ろされた。
 あっけない幕切れ。
 片脇の古めかしい洋灯が、夜風に吹かれ、どうしようもない静寂にカタカタと鳴く。
 築山の洋灯は、かつて街はずれにあったものだと聞く。この中高一貫校にまつわる七不思議のひとつらしい。
 文化祭の日にこの正面で想いを告げると結ばれるとか。そんな夜は、この壊れた洋灯にぽつんと一つ、あかりがともるのだという。
 誰も本気で信じているわけじゃなかったけど、験をかついだりするようなもので、今年もちらほらと洋灯の前に二人でいる生徒を見かけた。
 どのくらい暗くて静かな一人だけの空間で思いを巡らしていたことだろう。
 突然、辺りがぽうっとした灯りに包まれた。
 洋灯の七不思議? まさか。
「実行委員ってダルいわー……」
 振り向く前に、暗闇に疲れきったような声が降ってくる。
 お化けでも魔法でもない現実。
 洋灯に寄りかかっていたのは一人の生徒だった。
 持っていたキャンドルを、壊れた洋灯に備え付ける。七不思議の正体は、単なる100円ショップで売っていそうな安物のキャンドルの炎だった。
 辺りはぷかぷかとした暖かい色の灯りに包まれた。
「周りがみんな角灯下げてるのに、1コだけ灯りがないなんて可哀相だもんな」
 文化祭実行委員の彼は、独り言のようにぶつぶつ呟きながら、光り具合を確かめている。
 口ではなんだかんだ言いながら、元々他人の世話をやくのが好きな質なのだろう。長谷川亨は、皆が面倒くさがる委員の類もよく引き受けている。

 そう、何も自分だけが特別じゃなかった。

 小さいころは背の低かった影人間は、めきめきと大きくなって、後輩の女の子達に「格好いい」と言われるまでになった。
 どんなところにいても探しにくるなんて、わずらわしいと思っていたけれど。放っておいても探しに来てくれるものだと思い込んでいたけれど。 長谷川亨が地元を離れた学校を志望していると知って、一年早く受験した。
 結果的に、追いかけたのは自分の方だった。
 長谷川亨が面倒くさそうに見下ろした視線と、見上げていた視線がぶつかる。
 その目は「なんだ、いたの?」とでも言いたげだった。
 一つ年上というジョーカー。学年の違う自分の持ち札は、同郷というどこにでも転がっていそうな価値のないものだ。
「灯りなんてつけなくていいのに。せっかく暗いのが良かったのに」
 すべてを照らし出され、目の前に現実をつきつけられるのが嫌だ。
 子供のころのようにものがよく見えないぼやけた時代の中でなら、長谷川亨は自分をみとめてくれただろうか。
「明るい方がいいに決まってんだろ」
「そんなことない。暗くなってから見え出すものだってあるもの。暗い中でしか見えないものだってあるもの」
 たとえば、影人間の手のひらだとか。
 長谷川亨は仕方ないなぁというような目つきになる。よくこんな目をするようになった。手のかかるものでも見るような。
 小さいころとは違って、一つの学年の壁というのは意外にも大きくて。ほとんど口をきく機会なんてなくなった。 教室も授業も休み時間も昼も掃除も修学旅行も、全部別。
 第三者がいる場では、長谷川亨は体面をつくろうように「先輩」などと呼ぶが、心の奥底では見下げているとしか思えなかった。
 いつから自分はこんなに弱い立場になってしまったのだろう。強い光を避けて、逃げてばかりいたから。
「つき合うの?」
「なんだって?」
 そんなに怖い声を出さなくてもいいじゃないかと思う。
「同じクラスの浜崎さん」
 見てしまった。
 夕暮れ前の空が一番きれいな時間、築山の洋灯の前で彼女が告白しているところを。
 1年1組の浜崎トモカ。顔がちっちゃくて可愛くて、瞳が子ウサギみたいにくるくるしている。まさに世話をやいてあげたくなるような、 長谷川亨と同じ年の女の子。2年のクラスでもかわいいかわいいと話題になっていた1年生。
 まだ明るい夕焼けの光に頬が染まって、やけに可愛かった。七不思議も彼女のためになら微笑みかける気がして。
「あれは断った」
「なんで? 可愛いのに」
 信じられない。長谷川亨の顔は逆光でよく見えない。
「可愛くても、今手一杯だから」
「何に?」
 問い掛けると、長谷川亨は確実に馬鹿じゃないのかという目でこっちをにらんだ。
「戻る」
 不機嫌きわまりない声でそう言って、こちらを見もせずに、それでも無造作に手を差し出す。幼いころの癖がつい出てしまったかのように。
 どうがんばっても乗り越えられない一年の壁の差を。暗くて静かな場所を求めて逃げたはずなのに、自分の思い通りにならない世界へと戻るため、再びその手を重ねた。
 大きくなった影人間の手のひらは、思い出の中のように柔らかくもなくて、 ただの長谷川亨の乾いた手のひらだった。
 同い年という特権も、七不思議という魔法もない。
 宵待ちをするのは簡単だけれども、明るい場所に戻るのなら、この手がいい。





書いてる内にテーマがごろごろと転がっていく・・・
「昼からの逃げ」だったのに、いつのまにか「年の差問題」に;
元々のコンセプトは怪談だったのに(ぇ)
(05,11,13) 



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