ラストダンスは 講義の空き時間、旧棟の裏に位置する狭い庭園で昼食をとることにした。 飲食は一つの決まりごとのようで。 定められた時間に何かを食べなければいけないから食べる。 外で買ってきた味のないパンを口に運びながら、ときどき木陰に降りてくる鳥を見ていた。 地面を何やらついばんでいたのが、突如パサパサッと飛び立つ。 誰か来た。 座ったまま壁に同化するように身を潜めた。 こんな旧棟の裏側をわざわざ通るような人物は、こちらをみとめて一瞬ぎょっとしたあと、ふいに笑い出した。 「……………………何、」 「いや、オレの行くとこ行くとこ、示し合わせた訳でもないのにあんたがいるなと思ったらおかしくて」 ハルチカは笑って言った。 何がそんなにおかしいのかわからない。 「たぶん、好む場所が似てんだ、あんたとオレ」 そう言うと、勝手に隣りに腰を下ろして、勝手にコンビに弁当を袋から出して食べ始めた。 それからもくもくと食べた。ハルチカは時々何か喋っていた。 旧棟の上の方から、とぎれとぎれの音色が聞こえてくる。不自然で落ち着く、変な昼下がりだった。 リリリリリリと氷のような音が割り込む。ハルチカが取り出した携帯電話を耳にあてた。 「なに、今日? うん、まあいいけど」 ハルチカは切った電話をごそごそとしまうと、こちらの視線に気づいた。 「合コンだって、あんたも行く?」 人数おかしいけど、とハルチカは言って、へらと笑った。 「………………なんで行くの、」 「え、そりゃあ新しい出会いを求めに」 「………………新しい出会いなんていらないくせに」 ハルチカの瞳は一瞬とまったけれど、またへらへらとした形に戻った。 「だって、いつまでもこのままじゃいられないんだ。次にいかないと」 沈黙の間を、かすかな音色が通っていった。ハルチカはふと呼ばれたように顔をあげて。やがて立ち上がると服を手で払って言った。 「この曲、小学校のリコーダーの発表会の曲でさー。昔、家でよく吹いてた」 ハルチカが去ってから、旧棟を抜けて購買部に行くことにした。石の冷たい階段を転がっていくような音色。 聞かせる人のいない音は、一体どこにたどり着くのだろう。 開いた教室の扉。がらんとした教室の中で一人、銀色の楽器を唇に添えている人。楽器と一緒でまっすぐで、凛とした姿勢。音と肩先で揺れる黒髪を知っている。 胸の奥の方がちりちりと焼けついた気がして、訳もわからず手で押さえる。 すぐにおさまった。 向こうが気づいてふわっと笑った。ごく自然なことのように。瞬きでもするかのように倉田は笑う。 全く違う笑い方なのに、なぜかハルチカに似ていると思った。 「……次、ここで講義? 遊びだから勝手に空き教室使わせてもらってたんだけど」 「…………………………」 「違うの? じゃあもう少しいいかな」 倉田はまた楽器に薄い口をつけた。先程と同じ曲。 震えるように。空気を満たして。ただ綺麗だと思った。 一通り吹いてから、ふいに彼女は行き場をなくしたように唇を離した。 窓から庭園が見える。 「あなたにはどう聞こえてる?」 「…………………………」 彼女がどんな答えを求めているのかわからなかった。 「楽器の音って演奏者の内面をそのまま反映するの。鏡みたいなものね。 ……わたしの音、偽ってる音なんだって。向こうで言われたわ」 彼女は視線を落として、それからそのまま目を細めた。笑っているような形になった。 「ほんとうの音って本心をさらけ出すのと同じくらい難しい。あなたのような人ならきっとありのままの音が出せるんだと思う」 倉田は黒めがちの目でまっすぐにこちらを見据えた。その目を見返すことができなかった。 「この曲知ってる?」 どこかで耳にしたように思った。 「『ラストダンスは私と』っていうの」 彼女は歌うように言った。 「ねえ、わたし狡いの。選ぶこともできないくせに、忘れられるのは怖いのよ。 狡くて嘘つきで卑怯なの。それでも、―― 好きな人がいるのよ」 倉田の好きな人を考えることはしなかった。 何もかも手に入れているような倉田にも、ままならないことがあるのかと。彼女の寂しさにわずかに触れた気がした。胸がちりちりする。 他の誰と踊ってもかまわないけれど、ここにいること 忘れないで。 なりふりかまわず叫べたら少しは楽になれるのに。彼女はそれを許さないだろう。 胸がちりちりする。
この曲がときどき回る。
ご陽気なメロディなのになんて切ない歌詞なんだと思って Save The Last Dance For Me。原曲は外国の歌だそうです。 倉田はどういう学部なのか。果たして趣味で吹いてるのか。ノープラン。 (07,6,28) |