走らない鳥



 
 ドライだとか薄情だとか。
 そういう事じゃないけれど。
 今はどれを選んでも言い訳になる。
 来ない返事を待つようなみじめな真似はしたくない。

 拒絶されたらどうしていいかわからない。 
 幼い頃、自分では決して追いかけられない場所へ逃げていった鴨を呆然と見上げるように。そらの空洞に向かって立ち尽くすだろう。



 短い休暇で、日本へ一時帰国して三日になる。
 実家に戻って、地元の友人と会って、大学へも顔を出さなければいけない。
 どこか重たい足どりの道程を、駅から大学へ向かう。
 コンビニを曲がって、郵便局を通り越して。
 この路地を一歩曲がれば、とあるアパートが見える。
 年代を感じさせるくすんだ色の小さなパート。一角の窓がいつも締め切られているアパート。
 あの四角い部屋の住人は、今も同じように閉じこもっているのだろうか。
 そちらへ向かうことなく、まっすぐに足を進めた。
 大学へ近くなるほどに、道を行き交う面々に若い人口が増えてくる。
「あーーーーーーー、」
 反対方向からばったりと出くわした茶色い髪の学生に、いきなり指をさされた。
 ―― 倉田治親。
 同じく留学をしている友人の義弟で、顔は見知っているけれど、二三度言葉を交わしたことがある程度の相手だった。
 隠れて悪いことをしているのを見つけた子供のように、目を見開いて「あー」「あー」と言い続けるのを、恥ずかしいからやめろと、とりあえず近くの喫茶店に連れ込んだ。
 コーヒーだけを頼む。長居をするつもりはなかった。
「…………いつ帰ってきたんですか」
「週末だけど、またすぐ戻る」
「ふうん」
 治親は、何か言いたげな目をして不満そうにこちらを見ていたが、自分が頼んだケチャップ多めのオムライスがくると嬉しそうにしだした。理解しにくい。
 そう、言いたいことはわかっている。

 ―― なぜ加茂に会いに行かないのか。

 彼を納得させられるだけの答えが思い浮かびそうになかった。と同時に、彼が相変わらず加茂とそれだけ親しくしているのだと思い知らされていい気はしなかった。
 加茂は自分を待ってなどいない。
 待っていない者のところへ出向く必要がどこにあるだろう。その考えにずっととらわれている。時間も距離も開いていく分だけ。身動きがとれなくなるほどに。
 お互い無言で、しばらく時が流れた。
 あっという間に食べ終えた治親は頬杖をついて、窓の外を行き交う人を見ている。柔らかそうな茶色のくせっ毛がところどころ跳ねていた。
 自分には到底持ち得ない、自由奔放さ。他人の領域へたやすく入り込めてしまう天性の素直さ。彼のような存在こそ加茂にとって本当に必要なのかもしれない。
「…………どこか行ってきたのか、」
 治親がテーブルの上に無造作に投げ出していた一冊の写真集を見て尋ねる。羽毛の軽いダチョウのような鳥が走っている姿が写っていた。
「エミューの写真展。加賀サン、この人知ってる? エミューに魅せられて、エミューの写真ばっか撮ってる人なんだけど」
「いや、知らない」
 鳥はエミューというらしい。翼の代わりに脚力が発達した飛ばない鳥のようだ。
 自分の分野の話になったせいか、治親は唐突によく喋りだした。
「これこれ、このエミューが走ってるとこが一番好きなんだ。
 エミューってオーストラリアにいる鳥なんだけど、ひとところにとどまらずに走り続ける。一生あの広い大地を走って旅するんだって。なんでだと思います?」
「いや、わからない」
 彼の意図がよめなかった。
「エミューはいつでも雨雲を目指して走ってるんです。
 雲の下には、雨が降る。雨が降るところに草が芽吹いて、花が咲くから。 厳しい環境の乾いた南の地で、ひたすら雨の降るところに向かって走って生きてる。
 オレ、それ聞いたとき、すげぇなって思って。自分のとこに雨が降ってくるのをただ待つんじゃなくて。自分から雨のところに走っていく」
「…………そうだな」
 治親は真面目な顔になっていた。
「……あの人だって、ほんとは何度も走ろうとしてる。けど、そのたびにすぐとまっちゃうんだ。たぶん、走り方がよくわからないんだ。
 だから、―― あんたが走ってやればいいんじゃね?」
 治親の言うあの人が誰なのかわかっていた。息苦しいほどに。
 そうだ、加茂はあがいていた。
 じっとかたまって動かずに、閉じこもって、それでもあがいていた。
 そんなところも共有していけると思っていたのに。
「考えすぎて動けなくなるくらいなら、考える前に走ってみればいーんですよ」
 治親はいとも簡単にそう言って、席を立った。
「……そういや、ハトコは元気ですか」
 立ち去りかけて再び聞いてくるのに、ああと頷く。鳩子はこの休暇にも帰国することなく向こうにとどまっていた。
「この頃デジカメに凝ってる」
「その写真、時々メールで送ってくるんですよねー。向こうの街並だとか、階段にいた猫だとか、広場にいた子供だとか、転がってた石ころだとか。アングルも焦点もなってない、下っ手くそな写真ばっか」
「自分が見ている景色を離れてるお前にも見せたいんだろう」
 そう返したら、治親はパチパチッと目をしばたたかせた。
「…………あの人もほんと訳わかんね」
 呟く。一瞬だけ大人びた目をした。


 一人で喫茶店を出て、爪先に視線を落とす。走ることなんて忘れていた。こだわりなど捨てて。
 荒れた大地でたったひとつの目的を追い求めるように、ただ一心に一心に。
 立ち尽くす前に、一歩地を蹴った。












エミューのこの話を聞いた時、本気感動したんですけど。一年前に
このたくましさ。
ストレートな鳥だ。
(06,11,23) 







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