鴨のいる部屋 部屋の隅が自分の居場所だった。 背中をぴたりとくっつけて、膝を曲げ体を丸めてそこから目だけを覗かせると、狭い世界のすべてを監視することができる。 怖いものなど何もないのに、そうしていつも見張っていないと安心できないのだ。 「また電気もつけずに」 ガチャリと開いたドアの音で、玄関の鍵をかけ忘れていたことに気づく。 「どうせここ何日もろくなもん喰ってないんだろ」 独り言のように呟きながら入って来たその他人は、流しのステンレスにどさりと買い物袋を置いた。 こちらをちらっと見て、勝手に冷蔵庫を開け始めた。 「麺ばっかじゃねーか」 冷蔵庫からうどんの麺を取り出すと、買い物袋の中から取り出した野菜を洗って切り、フライパンを火にかける。 直にジュウジュウという音とともに煙と香ばしい匂いが漂ってきた。 出来上がった中味を皿に移すと、その他人はこちらに向かってやってくる。 「ほら、食べな」 すぐ前の机に置かれた焼きうどんをしばらく眺めて、冷めると思い食べることにした。 それを見ている他人の視線を感じる。他人の名は加賀という。確か同じ大学で同じ学部で同じ講義を受けていた気がする。 名前は学籍番号がすぐ後ろだったので覚えている。入学した日に少し会話したことも覚えている。 加賀は時々うちに来て、余計なことをして帰る。 「・・・お前、そこが良くないとこだよな。人に何かしてもらってもありがたいとか思ったことないだろ。 ちっとも嬉しくなんかないんだろ? お前がどう思おうが勝手だけど、親切にしてもらって礼の一つも言わねーから周りから敬遠されんだぜ」 加賀は何やら一人で喋っている。何が言いたいのかよく分からない。 「俺がいてもいなくてもいっつもそうしてるだろ。大学とバイト行く以外は部屋の隅でうずくまって、面倒なこと全部見ないふりして、 誰とも関わらずに一人で生きていけるなんて思ってんだろ」 加賀はいつになく煩かった。 顔を背けると、加賀は仕方なさそうに立ち上がって流しへ戻った。 「ここ開けたらそこの川が見えるんだな」 余った食品を片付けながら、流しの前にある窓を勝手に開ける。 加賀のせいで、安全で静かだった部屋に、冷たい風と遠く人々が生活する街の雑音が舞い込んできた。 電車の音、車のクラクション、宣伝・・・全部いらないざわめき。 「俺、小さい頃 真冬の川ん中にいる鴨が気になってたまらなかった。こんなに寒い中で冷たい水の上に浮かんで、首を縮こめて羽に押しつけて、何かを耐えるみたいにじっと目をつむってる鴨が」 加賀が話している内に、中味を食べ終えたので皿を元あった机の上に戻した。 「だから家につれて帰って温めてやろうと思って川に入ったんだ。鴨はすごく騒いで逃げてった。何度も捕まえようとしたのにそのたびに逃げ回った。 履いてるものも何もびしょびしょになって風邪ひいて、結局すげー怒られたけど。後で鴨はそうして生きていくもんなんだって教えられて、俺のしたことは全部無駄なことで、鴨にとったら迷惑以外の何でもなかったんだって知って、悲しかった。 でも俺駄目なんだ、そうゆーの。頭じゃわかっててもどうにもならない」 加賀は水滴のついた手をふいて、またこちらに戻って来た。じっと覗き込むように無理やり目を合わせられる。 「お前、鴨にそっくりだよ。・・・だからよけいに怖くなる。俺のしてることは全部無駄なことで単なる」 「バカじゃないの」 今日はもう一日中開かないだろうと思っていた口を動かした。 加賀のために。 加賀は遠い日のものでも見るように目をすがめた。 「でもお前は鴨じゃないもんな」 口にされる言葉も声も鬱陶しい。自分の居場所にずかずかと入り込んでくる同情も詮索もまっぴらだったけど、伸ばされた腕はただ温かかった。
何で鴨(カモ)か。
それは川で鴨を見かけたから。 主人公は鍵 開けて待ってたんだと思う。 このままズルズルと幸せにいきそうな駄目な二人。 (04,2,16) |