3.



 翌日、ネリーは少ない荷物をまとめて、屋敷内の自分の仕事にとりかかっていた。
 どれもこれも最後になるのかと思えば、見慣れた光景も違ってくる。
 主人不在の室内で、ネリーは赤い羽の鳥が葉をついばむ様子を眺めていた。 ネリーはこの時間が好きだった。
 何の理由も言い訳もなく、主人の部屋にいることができるこの時間が。
 古い大きな本棚には、ネリーが開いたこともないような分厚い本が並んでいる。
 きちんと整えられたベッドの脇には縁の細い眼鏡と懐中時計。殺風景な机の上にはペンとインク壺・・・。 そして少し離れたところに、 すみれ色の宝石がはまったペンダントが丁寧に飾られていた。
「おお、お嬢さん、こちらにおりなさったか」
 突如かけられた声にびくりと振り向くと、扉の外に老技師が立っていた。
「明日は屋根裏の日干しをしようと思うんじゃが、お嬢さんも時間がおありなら手伝ってくれんかね」
「・・・残念だけど、明日は無理そうなの」
「何かご用でも?」
「あたし、家に戻ることにしたんだ」
「なんでまた急に」
「いつまでもここにはいられないって、わかったのよ」
「お嬢さんがそう決めなさったのか? 本当にそれで」
「後のことお願いします。・・・庭のことや、中の植木のことや、旦那さんの大事なこの鳥のことも」
「あ、お嬢さん!」
 事情を把握できない老技師を残して、ネリーはぱたぱたと一方的に部屋を出て行った。

「どういうことです、旦那さま」
「ネリーに出て行けと言ったのは私だ」
 老技師に問い詰められた主人は、自室で椅子に腰掛け、鳥籠を引き寄せるようにしながら言った。籠をあけて手を差し入れ、その腕に鳥をとまらせて遊ばせる。
 鳥はロロロと鳴いて、赤い羽をばたつかせた。
「お兄さま方に何かおっしゃられたんですな」
「違う。私がそう決めたのだ」
「なぜです? 旦那さまはお顔にこそ出しませんが、内心ではネリーお嬢様のことを可愛がられているとわたしは」
 主人はただ表情のない顔で、鳥を見ている。
「お前は、私がこの鳥を見つけた日のことを覚えているか」
「・・・ええ、まあ」
 おもむろに話題を変える主人に、うかない顔をしながらも技師は答える。
「この鳥は羽に傷をおっていて、私は可哀相に思った。
 今は傷もなおり空も飛べる。 だが、私はこの鳥を放せないままだ。こんな狭い籠に閉じ込めて、甘い餌を与え続けている。
 空に戻ることが鳥の幸せだろうに、私の身勝手なわがままのために、この鳥には結局 可哀相なことをした」
「旦那さま・・・」
「ネリーも同じことだ。私はようやく気づいたのだ。あれが庭のすみで村の若者と嬉しそうに話しているのを見たときに。
 本当は薄々わかっていたのだ。ネリーはまだ若い。こんな寂しいところにおいておくべきではない。 私は金の力であれをこの館に閉じ込めていた。ネリーはあの若者のところへいくのがふさわしい。 私などとはつり合わない」
「それをネリーお嬢さまに」
「言う必要はない。ネリーは自分で出て行くと言っていただろう。 ネリーも本当はそれを望んでいたのだ」
「それは・・・」
「ようやく気づくことができたのだから。もう何も言わないでくれ」
 主人は赤い羽の鳥を腕に乗せたまま立ち上がると、窓を開け放った。腕をそのまま外に出す。
「行け。お前は自由だ」
 鳥はしばらく首を傾けたりして外の様子を探っているようだったが、やがて力強く羽を広げるとばさばさっと飛び立っていった。

 主人は、しばらくの間ずっと、窓辺にたって高い空を眺めていた。
「・・・旦那さん」
 細い声が聞こえ、彼はゆっくりと振り向く。
 扉の外には、まとめた小さな荷物を両手に下げたネリーの姿があった。
 少女自身の持ち物はあんなにも少なかっただろうか。
 この屋敷で過ごしたこれまでの時間が、あの小さな小さな荷物に象徴されているのだと彼は思った。
「もう荷物をまとめたのか」
 少女は答えない。
「・・・鳥、逃がしたんだね」
 空っぽの鳥籠を見ながらぽつんと呟く。
「ああ。そうすることがあの鳥のためなのだ」
「旦那さんは鳥じゃないのに、どうしてそんなことがわかるの」
「・・・・・・」
 その時、ばさっと軽い音がして、開いたままの窓から小さな影が舞い込んできた。赤い羽の鳥だった。
 鳥は騒々しく室内を飛ぶと、主人の腕にとまって、ロロロと鳴いた。
「なぜ戻って・・・、餌の時間でもないのに」
「その鳥、旦那さんのことが好きなんだよ。冬の寒い日に見つけてもらって嬉しかったんだ。甘い餌がなくても、籠に閉じ込められても、 旦那さんが好きなんだよ」
「ネリー、お前さっきの話を聞いて・・・」
「あたしも同じだよ。なんであたしにふさわしいのが何かなんて決めるの。旦那さんはあたしじゃないのに」
 ネリーは主人にしがみつく。驚いた鳥がばさばさっと宙に浮いた。
「あたしここにいたい。・・・トトは友達だよ。友達と会えたから嬉しかったの。旦那さんとは違うわ」
「私は・・・」
 そこまで言って、彼は言葉をなくした。
 古くから彼に仕えてきた老技師が静かに口を開く。
「旦那さま。旦那さまは小さな頃から機械ばかりを相手にお育ちになりました。けれど、機械人形<ドール>とネリーさまは違うのです。
 旦那さまがどれだけ物事をお考えになろうとも、伝えようとしなければ伝わらない・・・。旦那さま、ネリーお嬢さまにはちゃんとおっしゃってあげてください」
 主人はネリーを見て、それから机の上に置いたすみれ色のペンダントを見た。
「私は・・・、私は、お前にどこにも行ってほしくない。身勝手でもいい。もう嫌なのだ、一人でおいて行かれてしまうのが」
 ネリーは黙って頷いた。
 とまり場をなくして窓の桟に着地した鳥が代わりに、ロロロと鳴いた。


 ネリーは今日も庭に咲いた花を集める。主人に見せるために。
 兄を手伝って、牛乳配達について回っていた頃、前を通るたびになんて殺風景な庭なんだろうと思っていたお屋敷があった。
 こんな寂しい庭には、きっと庭と同じくらい寂しい人が住んでいるのだろうと。
 幾度も通っているうちに、垣根の隙間から見かけたのは、テラスに佇むとても美しい無機質な女の人と、その人とまるで対のように無表情な男の人だった。 けれど、その人が彼女へ向ける目線を見たとき、この人は本当は優しい人なのだと思った。なぜだか自然とそう思えた。
 そして、いつか自分が育てた花を、必ずこの人たちのところへ見せに行こうと決めたのだ。
 あの時から始まっていたのかもしれない。
「ネリー奥さま、まぁたそんな長いお洋服で外に出なさって」
「すぐ戻るから」
 何度めかの春が、ぱたぱたと屋敷の奥に消えていく足音を やわらかく包み込んだ。



                                               fin.


こんな鳥だっているかもしれない。 いないかもしれない。



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