く る り





 
 地を思いきり蹴り上げる。空が見える。地面が裏返る。世界が180度回転する。そんな刺激的な
瞬間。
「空のその向こうまで行くんだ、という気持ちで足をあげるのよ」
 なかなか鉄棒で逆上がりができない女の子に、体育の先生がそう言っていた。空のその向こうには何があるんだろう。聞きながらそう思った。


 世界は謎に満ちている。そんなことを言ったのは誰だったっけ。
 たくさんの魅力的なものに惹かれること。それがほめられるべきじゃないということ。一人の相手とずっと一緒にいられること。一人の相手とずっと一緒にいられないこと。そう、世界は謎に満ちている。


 普段は使わない時間帯にたまたま居合わせた駅のホームで、見覚えのある後ろ姿を見つけた。横にそろえられた黒い通学鞄、紺色の学生服からすらりと伸びた足。そうであることがすべて正しいと決まっているように。
 凛と一本筋の通った姿勢は、通過する電車の風に吹き飛ばされまいとするようにかたくなだった。
「カシタニさん、」
 襟足の上から呼びかけた声に、彼女はすっと振り向いて、一定の幅を保ったままの視線を移した。間近にある目が逆光の関係でなぜだか青く見える。
 彼女の唇が動いて、先輩、と形を作った。


「何笑ってるんですか、気持ちの悪い」
 次の駅まであと10分。二人して左のドア側に立って揺られている。少しぶつかる。込み合うほど混雑していなくて、座れる程空いてもいない。
 卒業した学校の一つ年下の後輩が、少しも変わらないこと。それが嬉しかった。
「ジュンヤ〜」
 涼やかな声に名前を呼ばれて顔を向けると、遠くの席のほうに白いサンダルを履いた知っている顔がひらひらと手を振っていた。軽く手で応える。
「彼女が呼んでますよ」
「彼女じゃないよ。元カノ」
 訂正したら、樫谷さんはまたあの青い視線で俺を見た。ソラに似ている。こちらに対して何の期待も抱かない高い空。


 学校の一番高い場所で空を見ようと、屋上にある給水塔へ行ったらときどき彼女がいた。名前も知らないまま、会えば何か言葉を交わした。
「ねえ知ってる? 世界の人に1秒ずつ会っていったとしても100年以上かかる計算になるんだって」
「では私は今600人分の時間を1人と過ごしてしまった訳ですね」
 そのなかで居合わせていること。
 世界は謎に満ちている。
 彼女の脇に無造作に置かれているノート。“樫谷彰子”。どの線もこの角度で曲がることが決まっているというような整然とした字だった。
「2年D組、カシタニアキコ」
 口に出して読む。
 誰かに惹かれること。それが維持できないこと。他の誰かに惹かれること。気持ちが簡単に上書きされて、以前あったはずの気持ちが消去される不思議。
「ねえカシタニさん知ってる? 永遠、なんて存在しないんだよ」
「哲学的ですね」
 授業開始5分前を告げるチャイムが鳴った。「先輩、」彼女はすっと立ち上がって珍しく呼んだ。
「もしも。もしも先輩がすべて間違ってる、としたらどうします?」
 くるり。世界が音を立てて回転する。


 600人分の時間を樫谷さんと過ごして、次の駅に近付く。車内アナウンスに、彼女は鞄を一度持ち直した。
「先輩とは、もう会わないだろうと思っていました」
「俺もだよ」
「会わなくなってから、後悔、するとは思いませんでした」
「後悔? カシタニさんでも後悔することがあるの?」
「私は先輩が思うような達観した人間ではありません。もっとも、今まではそうだと思っていましたけれど。
 カシヤショウコ、です。私の名前」
「知ってたよ」
 彼女の青い視線に動揺が浮かんだのを見た。
「最初はほんとに知らなかったけど。頭、いいんだね。二年の廊下で学期末テストの上位者がはり出してある紙で見た。あれ、ご丁寧にも振り仮名ふってあるから」
 樫谷さんは怒った顔になった。
「樫谷さんから教えてくれるの、待ってたんだ」
 謎に満ちた世界に答えをくれる。
「私、ここで降ります」
 到着した駅で扉は開いて、樫谷さんは靴を鳴らして降りていった。
「樫谷さん! 俺、この電車よく使うけど」
「私はこの街の塾に通ってます」
 振り向きもせずに言う彼女に少し笑う。
 約束をしないことが、君との約束だった。
 100年以上分の確率のなかで、きっとまた会える。
 世界は謎に満ちている。けど、樫谷さんならその世界をひっくり返してくれそうな気がするんだ。










1日=8640秒 ×365 で3153600秒
60億÷3153600 で、およそ190年。合ってんのか;?
(08,5,5) 







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