仰 ぐ





 春が近づいても、軒下で溶けることのない最後の氷柱のように、一途で潔癖でありたい。


 昨日、ドラッグストアでアイスブルーの目薬を買った。
 目薬をさす。視界がにじむ。見えなくなる。


 校舎の屋上のさらに一つ高いところにある給水塔のわきで上を見あげると、視界には何も存在しなくなる。目に痛いほどのアイスブルー。
 昼休憩や放課後、朝のせわしない時間、時々ここにきた。
「また来たの?」
「先輩もまたですか」
 澄み切った空間にくもりを落とすのはこの一点だけ。
 濃紺のネクタイは一学年上のもの。ある時突然こんな場所で居合わせたこの人は、それからも時々居合わせる。
 それまで口をきいたこともなかった先輩は、下の学年でも噂のたえない人で、顔だけはよく知っていた。 付き合って三週間で別れたとか、その一週間後には別の子と付き合っていたとか、移り気であまりいい話を聞かない。
 到底理解できる範囲ではないし、普通に学校生活を送っていて自分とは縁のない人物だと思っていた。
 ただ同じ場所を好んだだけの共通項。
「カシタニさんはさぁ、凛としてるよね。真っ直ぐ一本線が走ってるみたいに」
 たまたま近くに置いていたノートの“ 樫谷 ”の文字を見とめて、カシタニと発音しにくそうに口を動かす。本当はカシヤだと教える義理もない。

「人にはそれぞれ精神年齢があって。それでいうならカシタニさんは俺より上なんだろうな」

「一年を長いと思うか短いと思うかその人次第だよね」

「頭で好きになりたいと思うものが本当に好きになれたら、楽なのに」

「形の違う均等は、半分じゃないところでたもたれてるんだって」

 先輩は、ぶつっと千切れる雲みたいに、他愛もない話をつないでいく。
 先輩は今、元生徒会長で才女なんていわれている先輩と付き合っているという噂。
「人の噂と、本人の言うこと、カシタニさんならどっちを信じる?」
「どちらも信じません。最後は私が決めることだから」
「カシタニさんは強いね」
 氷柱は案外に脆いのに。

「俺が見ているものと、カシタニさんが見ているもの、何が違うんだろう」
 そう言って、同じように寝そべった。空が見える。髪の毛がそよぐ。
 ふいに先輩は起き上がった。
「ここも来週からカシタニさんの特等席になるね」
 視界が先輩に邪魔をされる。にじむ。見えなくなる。
 ああでも時間がとまってもいいと思った。明日もこないで、明後日もこないで。
 今週末、この人は正しい名を知ることすらなく卒業していく。お互い携帯電話くらいは持っていたけれど、アドレスを聞くことも 番号を聞くことも一度だってなかった。それぐらいは通じ合っていたと信じたい。


 来週から、ここで目薬をさすたびに、視界はこの人一色になるだろう。










なんか無理やり季節入れ込みましたって感じになってる。
(07,3,21) 







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