その日は朝から雨が降っていた。 狭い教室と、そこにつめこめられた黒い制服の群れ。 つまらない授業から顔をそむけ、私は窓の外を眺める。 空は暗い雲に覆われ、一筋の青も見えない。 しとしと降り続ける小雨のおかげで、景色は淡く霞んでいた。 まるで湖の底に落ちたみたい、と、とりとめもないことを思う。 古諏削(こすげ)、ちゃんと前を向いて話を聞け。 振り向くと、黒板の前に立つ中年教師がしかめ面で私を見ていた。 前を向いたものの、私は何の返事もしなかった。いつものごとくの私の態度に、教師は声を荒げる。 俺の授業はよっぽど退屈らしいな。何がつまらんか言ってみろ。 私は黙っていた。教室は今まで以上に深と静まり返った。 教師は私を睨みつけ、私はその視線を無表情に受け止めた。 しばらく苛々と指で教卓を叩いていた教師は、もういいと、頭を振った。 古諏削。後で職員室に来るように。 そう言い捨てると、再び黒板にチョークをつきたて授業を再開した。 誰もがほっと胸をなでおろしたのが、わかる。 張り詰めていた空気は徐々に元の状態に戻り、その雰囲気に皆、吸い込まれていく。 なにもかもが穏やかだった。 古諏削ってさ、不器用だよね。 休み時間に榎本(えのもと)は言った。 他人の席に我が物顔で腰を下ろす榎本の手には、小さな苺牛乳のパックが握られていた。彼女のお気に入りだ。 ああいうときは素直にはいはい笑ってりゃいいのよ。呼び出しなんかくらっちゃって、どうすんのさ。 ようやく、榎本が先程の授業のことを言っているのだとわかった。 笑うのって、面倒。 私の答えに、榎本は思いっきり呆れた顔をした。 そんなんでこの先どうすんのよ。愛想笑いは社会で生き抜くための大事な武器よ? そう言われても。 笑いたくもないのに笑うこと。 自分が悪いと思っていないのに謝ること。 そんなものに意味があるのだろうか。 私は沈黙した。榎本は何かを探るように私をみつめていたが、ふいに溜め息を吐いた。 あんたって、本当に不器用ね。そんなんじゃ、生きるのしんどいでしょ。 つらいと思ったことはないけれど。 確かにそうかもしれないと思う。 どうすれば上手くいくんだろう。 私の呟きに、榎本はさあねと肩をすくめた。 放課後も、まだ雨は降っていた。 怒られることがわかっているのに職員室に行く気もなく、かといって家に帰る気もなれなくて、校舎内をぶらぶらと徘徊していた。 雨の日の廊下は床が湿って滑りやすい上、土埃と水分が混ざり合い、不快な印象をあちこちに散らばせている。 それら汚いものを一切みないようにして、私は階段を上ったり下りたりする。 静寂を切り裂く足音が好きなのだ。 それにも飽きたら、今度は体育館へ向かうことにする。 体育館は、音が最もよく響く場所だった。 体育館は校舎から少し離れていた。二つをつなぐ渡り廊下に足を踏み出したとき、すぐ近くで水の跳ねる音がした。 渡り廊下の左手には、校庭が広がっている。 雨でけぶった土色のなかに、一人の男子生徒が立っていた。 頭から爪先まで、全身ずぶぬれだった。Tシャツは既に用もなさない程水分を含み、細い体に張り付いていた。 呼吸が荒く、肩で息をしている。額を流れ落ちる水滴は、雨のものだけではないかもしれない。私はその少年の名を知っていた。 湯浅(ゆあさ)。 呼びかけると、おお、古諏削、と彼は小さく手を振りながら駆け寄ってきた。 何してるのと尋ねると、部活、という簡潔な返答が返ってくる。 湯浅は野球部員だった。いつもと同じように校庭を走っていたのだろう。きいてみると、案の定、湯浅はそうだと頷いた。 雨の中、一人で? 雨の中、一人で。 彼の髪から雫が幾つも滴り落ちる。 濡れた髪。 濡れた体。 濡れた瞳。 湯浅は言う。 雨の日って、無性に走りたくならねえ? ならない、ときっぱり言い捨てると、湯浅はわずかに苦笑した。 俺、もう少し走ってくから。 じゃあなといい終わるか終わらないかのうちに、彼はもう私に背を向けていた。 ばしゃばしゃと跳ねる足音が遠ざかる。 走り続ける湯浅。 忠告をくれる榎本。 話を聞けと怒る教師に、安定であることに安堵するクラスメート。 上手くいかないと感じながらも、時間は流れ、なんとなく生きている。 多分、これからもこんな感じなんだろう。 そう、ただありのままのことに納得する。 世界は灰色だ。 どっちつかずの色の中で、私はそっと目を閉じる。 雨音がぼんやりと胸に沁みた。 (2003/06/09) |
Ashtown の椋白さんから2222hitのキリリク小説で頂きました。
リクエスト内容は「雨・友達・学校・日常・短編」でした。 漠然としたリクエストですが、椋白さんの雰囲気で私の大好きな「雨・学校」 をぜひ描いてほしかったのです。 結果、こんな素敵な作品を創って頂きました。 自分も雨の学校に佇んでいるような感覚にひきこまれたのではないでしょうか? 本当に素敵な作品をどうもありがとうございました。 |