山 の 中




 右を向いても左を向いても木、また木。上をのぞめば取り囲むのは枝ばかり。
 どこからともなく響いてくる微かな水音は沢のものか・・・。その方向さえも見極めきれずにいた。
 じゅうたんのように敷きつめられた落葉も鮮やかな秋の山。野生のキノコの研究のために足を踏み入れたそこで、私は一人途方に暮れていた。
 用心のために持参した方位磁針があるので下山できないことはない。だがここまで来て、本来の目的であるキノコの群生地に辿りつけぬまま、山をおりるのはいかにも惜しい気がした。
 しかし着実に日は暮れかけてきている。後もう一度、道を決めてそれで駄目ならばあきらめよう。そう考えて近くの岩に腰を下ろした。私が頼りにしているのは、自分の古びた記憶だけ。
 私はかつてこの麓に住んでおり、この山一帯を遊び場にしていた。よく近くの悪餓鬼仲間とともに、自分の庭のように縦横無尽に駆けまわったものだ。 山ぶどうのなっている場所も、鳥の巣のある場所もすべて頭の中に入っていた。
 その頃は仲間内で暗号を決めて目印を作っていたのだ。
 先に行く、どこどこで待つ、例の場所に行け。秋の山に豊富に転がっている自然の贈り物を使って実に様々な暗号を残した。小枝をクロスさせるのは、絶交。まあ子供の頃の絶交など一時的なもので、その翌日にはすぐ違う暗号に差し替えられていた。 もみじの葉を手のひらに見立てて重ね、その上に丸い小石を置く。これは《ずっと友達だ》というサイン。
 肝心の地理は思い出せなくても、そんな他愛も無いことばかりよく覚えているものだ。 懐かしさと苦笑をかみしめながら、周りの木々を見渡す。長年の歳月は、私の記憶も山の形も変えていた。頭に刻み込まれたはずの地図はすっかり薄れ、例の場所への行き方もわからない始末だ。
 例の場所とはその頃、仲間内で秘密の基地のように崇高に考えていた場所で、どこからか微量の水が流れ込んでくる木陰にあった。その場所こそが今現在、私の求めるキノコの群生地でもあったのに。
 私が通っていた小学校は私が三年生の時に廃校になり、家族で都会に移り住んだ。 あの頃ともに遊んだ仲間たちも散り散りになってそれっきりだ。山へはそれ以来一度も戻っていなかった。
 変わらない自然の中で、一人だけこんなおじさんになってしまった私を、山は拒んでいるのかもしれない。少し寂しさを覚えながら、山をおりようと決意した時だった。
 ふと何かの気配を感じて振り返る。
 後ろにあるのは、前にも左右にもあるのと同じ、地面から幾本も伸びた木々に囲まれた景色であるはずだった。しかし、まず目に飛び込んできたのは、一本の木の陰からじっとこちらを見つめる少年の顔だった。 黒い丸い瞳をして、訝しむでもなく驚くでもなく、興味があるでもない表情をして、ただじっとこちらを見つめている。
 あまりにも動きのない顔なので、最初は見間違いだろうかと疑った。 深い山の中で長時間過ごしていると、葉の影や木の枝が人間の手に見えたり、他の何かに見えたりすることがあるのだ。
 だが、それははっきりと少年の顔をしていた。私の目は決して悪い方ではない。
 今もここら辺りに住んでいる地元の子供だろうか。それなら助かるのだが。
「あの、きみ・・・」
 声をかけると、ひょいとその顔は幹の陰に引っ込んだ。
「あ、待ってくれ。私は怪しいものじゃないんだ。私はA大学の教授をしている吉永というもので、この山に生えているキノコを探しに来たんだよ。 けれど迷ってしまって・・・。よかったら山を案内してくれないか」
 呼びかけると、しばらくの時間をおいて、同じ場所からまたすっと顔が覗いた。
「教授、なの」
「そうだよ、大学の先生なんだ」
 遠くから呼びかけてくるので、安心させようとできるだけ人のよさそうな笑顔をして答える。
「キノコを見つけたらどうするの」
「胞子を少しサンプルとしてもらうだけだよ。研究に使うんだ。きみは、キノコのたくさん生えている場所を知っているかい?」
 少年は少し考えた後、「知ってる」と短く答えたと思うと、あっというまに私の側に立ってこちらを見上げていた。 恐ろしく足の速い子供だ。最近の子供は皆これほどに足が速いものなのだろうか。子供のいない私には見当がつかない。
「教えてくれるのかい? ああ、えーっとね、キノコがたくさん生えているといっても、私が探しているキノコかどうかはわからないんだ。 できたらこの辺で、水が流れ込んでいる溜まり場のような所を教えてくれるとありがたいんだけど。 確か近くに大きなクヌギの木が生えていて、ゾウのような形をした岩があるはずで・・・」
「知ってる。ついて来て」
 私のしどろもどろな説明を真面目な顔をしてじっと聞いてくれていた少年は、短く告げると私の先に立って進みだした。
 道すがら事情を話しつつ登っていく内、次第に私の胸に懐かしいものが込み上げてきた。この道、この道だ。 こうして山を登りながら、友達連中の後をついて行った。それから、あの岩を右に曲がって・・・。
「そう、ここ、ここだよ! 私が探していたのはこの場所なんだ!」
 朽ちた木の陰に生えたキノコの数々を前に、私はしゃがみ込んだ。 かさをひっくり返して、自分が探していたものだと確認する。
「ありがとう、きみ・・・」
「もう忘れたりすんなよ、アキ」
 私が振り向いて礼を言うのと、その声が聞こえたのは同時だった。
「え?」
 背後にいたはずの道案内をしてくれた少年の姿はどこにもなかった。辺りを見渡しても、木々の生い茂った山が広がるばかり。
 アキ。確かに私は子供の頃そう呼ばれていた。私の名前は道明だが、アキはすっかり定着したあだ名で、今でもそう呼ぶものも少なくない。私は彼にその話もしただろうか。
 アキ・・・あき・・・あき、
「あっちゃん!」
 私はハッと立ち上がってその名前を呼ぶ。
 十になる前の記憶とはいえ、どうして忘れていたのだろう。
 今のはあっちゃんだ。
 あっちゃん・・・アキラは、当時仲間内で私と一番仲の良かった子だった。アキとアキが同じだからと、私にあだ名をつけてくれたのもあっちゃんだった。
 ただあっちゃんは同じ小学校の子ではなく、私は勝手に隣りの村から遊びに来ている子の一人だろうと思っていたのだが。 彼の家がどこなのか誰も知らず、口の悪い者が狐の子だなどと噂していたのを思い出す。
「あっちゃん」
 とうに山を離れた私の呼び声に応えてくれる人は誰もいない。
 寂しく落とした視線の先に、自然の悪戯かそれとも別のものなのか、真っ赤なもみじの葉の上に丸い小石が一つ、ちょんとのせられていた。





なんか可愛い感じにおさまった。
一万ヒット記念「little garden」春夏秋冬の秋の作品。
・・・もうちょっとタイトルが何とかならなかったものかと。
場所じゃん。
(04,1,23)




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